“スピリチュアル”とは一体なんでしょう?
どのようなものを『そう』呼ぶのでしょうか?
辞書的な見解でいきますと、『霊的なもの』とでも言いますでしょうか。漢字に置き換えてみると、なんだか大層な感じがするな~という気もするのですが、精神的なもの? 目には見えない感じることのできるものを指しているのではないでしょうか。
ここ最近テレビや雑誌でも取り上げられることは多くあります。”スピリチュアル”と名前のつくものはネット上で検索すればするほどたくさんヒットするように、どれもあたりで、はずれなんてないのかもしれません。スピリチュアルと呼ばれる目には見えないものは、この世界にたくさん存在しています。私たちの今生きている世界そのものが、スピリチュアルなことだともいえます。
今回はたくさんある”スピリチュアル”というもの、現象、意味を理解するための7つをご紹介させていただきます。日常の中に溢れている”スピリチュアル”を感じ取ることでより、素敵な人生にし、素敵な毎日を送りましょう。
目には見えない 不思議な世界
“スピリチュアル”な出来事や物事というのは、決して、目でみることはできません。体で感じることがほとんどです。言葉や文字にあらわすことは、とても難しいことなのですが、五感全てで感じ取る不思議な世界と言えるでしょう。
スピリチュアルな体験とは、日常の中に隠れており、ひょんなことから体験することも多々あります。人によって体験した時の感想や感情はそれぞれですが、ただひとつ言えることは『不思議な体験をしたな』という何とも言えない感覚が残るでしょう。
自分自身を見つめること
スピリチュアルな体験をするということは、同時に自分自身を振り返り見つめなおすことにもつながります。
スピリチュアルな体験がきっかけとなり、本来の自分のあるべき姿を思い出したり、自分を取り戻すきっかけとなったり、新しい自分へのスタートになったりと様々ですが、不思議な体験は必ず自部自信を変えるパワーを持っているのです。
自分は自然の一部にすぎないということ
圧倒的な大自然に囲まれているとき、自然の脅威を前にした時、『人間は何てちっぽけな生き物なのだ』と感じることがあるでしょう。
大きな自然の前では人間は本当に小さな存在です。しかし卑下することは決してありません。偉大な自然の一部であり、私たちは自然とひとつになれる存在なのです。
決して怖いものではない
スピリチュアルを直訳すると『霊的な』という意味ですから、どうしてもオカルト的なイメージをもたれてしまうことがあります。霊的なといっても『御先祖様の霊が~』というような、どこかオカルトで、宗教チックな話ではなくて、大自然や母なる地球という言葉とリンクしているイメージの方が強いです。
スピリチュアルと聞いて決して身構えたり、怖がる必要はありません。自然にすとんと気持ちが落ち着く心地よいもの、それが本来のスピリチュアルなものなのです。
受け取ること
自分主体で物事を考え、相手に対して簡単に与えてしまいがちですが、スピリチュアルなものの見方としては、『受け取る』ことが主体になります。
スピリチュアルなものの送り手としては、自然や目に見えない世界です。自分自身に傲慢にならないこと、私たちは、あくまでも、大きな存在の中のひとつにしか過ぎないのです。
人生とカルマ
人間は生きる上で様々な葛藤や壁にぶつかります。自分の欲望と他者の幸せとの狭間で悩んだり、人間だからこそ不安や心配から思うように生きることを邪魔されてしまうことがしばしあります。しかし、それも含めて人間であり、人生ですので。
どうぞ、思い悩みすぎないでください。『こんなものだ』と時には苦しさをそのまま飲みこめるくらいの大きな心でいましょう。
愛、いのちそのもの
最終的にはいのちや、命を紡ぐための愛そのものへと還ります。スピリチュアルなものは、決して、目では見ることができず、体感こそして、はじめて理解できるものです。
人間が生きている上で一番スピリチュアルなこと、それは今を生きていることや、生命としてこの世に誕生するに至った『愛』がそこにあったからではないでしょうか。深く考えすぎることはありませんが、スピリチュアルは決して特別で異様なものではなく、どこにでもある存在なのです。その存在に気づくことでより、毎日に感謝できたり、あたたかくなれたり、人にやさしくできたり、不思議な世界なのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
スピリチュアルな不思議な世界を体験することで、きっと、世界の見かたや接し方が変わってくるかと思います。
日常の世界にたくさんあるスピリチュアルな体験を特別な目ではなくて、体で体感してみてください。きっと素敵な変化があなたにもおとずれるでしょう。