アニミズムという言葉を知っていますか?
アニミズムとは、人間だけでなく動植物や無生物にも霊魂が宿っているという思想のことを言います。
実は、日本のアニメには、このアニミズムの思想が根底にあるのです。
なぜアニミズムが日本アニメに散りばめられているのかは、日本の古代宗教を理解することでわかります。
それは、多神教を認める日本人の思想が大きく関係しているからです。
自然と共存してきた農耕民族のルーツを紐解いていくと面白い繋がりが見えてきます。
先住民による儀式も、アニミズムによる思想によって行われていました。
その背景には、日本人の自然に対する畏怖や崇拝の念が垣間見えます。
それが日本アニメに投影されていると言っても過言ではありません。
日本アニメのどんなところに古代宗教思想がちりばめられているのかを、詳しく見ていきましょう。
日本アニメに見るアニミズムとは
日本アニメは、世界からも『クール・ジャパン』と評価され、誇るべき文化の1つとなりつつあります。
各国で日本エキスポやアニメの祭典、コスプレイベントなども開催されています。
その人気の裏には、日本人と外国人のアニミズムに対する考え方の違いが関係しています。
日本を代表するアニメといえば、スタジオジブリ作品、鉄腕アトム、ドラえもんなどが挙げられます。
これらのアニメは日本人のアニミズムの思想があってこそ成り立っていると言えるでしょう。
スタジオジブリ作品の中では、魔女の宅急便に出てくる猫のジジは当たり前のように言葉を話し、となりのトトロでは古くからある森にトトロという精霊が宿っています。
鉄腕アトムやドラえもんは、ロボットでありながら人間と同じように食事をし、会話をします。
非生物でありながら、魂が宿っているかのように描写されているのです。
そして、私たち日本人はそれを見ても特に違和感を覚えません。
それは、私たちは幼い頃からアニミズムと共存してきたからなのです。
動植物やロボットをまるで家族のように描写する日本アニメの世界観に世界は衝撃を受けました。
それは『センス・オブ・ワンダー(不思議な感動)』と呼ばれています。
世界、とりわけ西洋ではキリスト教の価値観から、人間の尊厳が最も重要であると考えられています。
心や魂は人間だけが持つものと考えられ、その他の生物とは異なる存在とされています。
そのため、海外アニメにもロボットは登場しますが、ターミネーターやマトリックスのように人間を脅かす脅威として描かれることが多かったのです。
動植物や非生物までも人間同様に、ときには家族の一員として描かれる日本アニメには、アニミズムの思想が背景にあるからこそと言えるでしょう。
それでは、日本人が自然とアニミズムの思想を持つようになった理由を日本の古代宗教から紐解いてみましょう。
古代日本宗教に見るアニミズムとは
日本には古来よりアニミズムの思想がありました。
自然の中に精霊や魂、神様が宿ると考えるそれらは、八百万の神と呼ばれました。
スタジオジブリ作品の千と千尋の神隠しでは、八百万の神そのものが作中に出てきます。
川や海、汚泥にすら神が宿っているという考え方です。
そもそも古代日本宗教は、アニミズムとシャーマニズムの二本柱で成っていました。
アニミズムとは、タイラーという人類学者が『霊的存在への信仰』という意味で提唱しました。
語源はラテン語で「アニマ」と言い、『霊魂』という意味を指します。
一方、シャーマニズムとは、シャーマンと呼ばれる霊能者が霊的存在と交信を取って儀礼を行うような宗教儀式を総称して言います。
語源はツングース語で「サマン」と言い、『知る人』という意味を指します。
日本のシャーマンは、地方によって巫女、イタコ、ユタなどの名称で呼ばれています。
古代日本人は、自然の中に神を見出し、それを崇め祀ることで自然を大切にしてきました。
そうすることで自然を守り、また私たち自身をも戒めていたのでしょう。
例えば、古来日本では川や水源には河童が棲みついていると考えられていました。
河童は妖怪とされながら、水源にいる精霊でもあります。
河童を畏れることで水源にいる生き物たちは人間に立ち入られることなく守られていたのです。
それが、古代日本宗教に見られるアニミズムでした。
それでは、古代日本ではどのようにアニミズムが儀式に取り入れられていたのか、事例を見てみましょう。
アイヌ民族に見るアニミズムの事例
北海道の先住民であるアイヌ民族は、アニミズムの1事例としてイヨマンテと呼ばれる熊送りの儀式を行っていました。
アイヌ民族は、冬眠中の熊を狩っていました。
母熊はその場で屠殺して食べますが、小熊がいた場合は連れ帰って大切に育てました。
小熊は人間と同じように母乳を与え、上質な食事を食べさせて大切に育てられます。そして、2年をかけて育て上げた後に、盛大な送りの儀式が執り行われます。
その場では、大切に育てた小熊を屠殺(とさつ)し、解体して、肉がふるまわれます。
なぜ、こんなひどいことをするのかと思いませんか?
実は、この儀式には、アニミズムの思想が大きく関わっています。
アイヌ民族はこの熊を、熊の姿をして人間界にやってきたカムイ(神)であると捉えていました。そして、カムイが宿った小熊を丁重にもてなし、送りの儀式を行って神々の世界へお送りするものと考えていたのです。
カムイはもてなしの礼として、小熊の肉や毛皮を置いていくのです。その後、神々の世界へ戻ったカムイは人間界でのもてなしを他のカムイへ伝え、また小熊となって肉や毛皮を携えて人間界へやってきます。
これこそ、アニミズムの思想の表れであるといえるでしょう。
一見残酷なようにも思えますが、人間は生きるためにたくさんの命を頂かなくてはなりません。
アイヌ民族は、命を頂くために小熊を手塩にかけて大切に育てました。
そして、その大切な命を頂くとき、盛大な儀式を行って神に感謝をしていたのでしょう。
アニミズムの思想から命と向き合い、敬っていたということが伺えます。
言うなればアニミズムとは、神や自然への畏怖だけではなく、感謝や畏敬の念をも表しているのです。
キリスト教とは相反するアニミズム
古代日本宗教に見るアニミズムのように、日本人は自然とアニミズムを受け入れる背景があります。
しかしながら、キリスト教の世界観ではアニミズムは偶像崇拝として捉えられ、神は唯一無二のものと考えられています。
聖書にも、具体的にアニミズムを禁じる記述があります。
「男であろうと女であろうと、霊媒師や口寄せがいるとすれば、その者は必ず殺されなければならない。」
アニミズムの実践は、悪魔が人々に入り込む入り口であると考えられ、これらの事を行う者に対して聖書は強い裁きを与えています。
この考え方は、映画『ゴジラ』を観ても日本と他国では価値観が違うのだということが良く分かります。
日本版ゴジラには、アニミズムの思想が根本にあります。
ゴジラそのものは、人間にはあらがえない存在として描かれています。
街を破壊する行為は天災を表し、神のみが成せる業であり、人間に与えられた試練でもあります。
荒ぶる神の前で人間はただ無力です。
シリーズの中でゴジラは倒されたこともありますが、必ず復活を予期させる終わり方になっています。
しかしながら、ハリウッド版ゴジラでは『GODZILLA』のスペルから『神』を表す『GOD』が取られ、『ZILLA』という名前に変更されています。
これには、ゴジラは神ではないという強い意図が感じられます。
ゴジラのビジュアルも醜いものに描かれているうえ、米軍のミサイルであっけなく倒されてしまいました。
クリスチャンの多いハリウッドでは、やはり神はキリスト唯一神なのであって、ゴジラは人間の『敵』なのでしょう。
ここにも日本のアニミズムの価値観と、アニミズムではない他国の価値観が垣間見えるのではないでしょうか?
児童心理学からみたアニミズムとは
アニミズムという言葉には、文化人類学とは少し定義の違う意味で使われることもありますので、ご紹介しておきましょう。
人間の幼少期には、自分以外の全てのものにも意識があり、意思を持っていると考える時期があります。
児童心理学では、このことを「アニミズム」と呼んでいます。
2歳~4歳の幼児期には、自分とその他の区別ができておらず、現実と非現実の区別もつかないことが多くあります。
幼児期のアニミズム的思考は「汎心性」とも呼ばれ、成長と共に人格が形成されていくものと考えられています。
児童心理学者であるピアジェによれば、幼児期のアニミズムの発達は下記の4つの段階に分けられ、この段階は幼児期から、思春期まで続くと言われています。
2.動く物に意識がある。
3.自分の責任を持って動くものに意識がある。
4.意識は動物に限定される。
文化人類学で言うところのアニミズムとは少し意義が異なりますが、人間は生まれながらにしてアニミズムの思想を持っているものなのかもしれません。
まとめ
アニミズムという言葉、響きからは、難しい宗教学的な印象を受けます。
しかし、実際は日本を代表するアニメにも見られるように、私たち日本人にとっては幼い頃からごく身近にあるものであり、無意識のうちにアニミズムに寄り添い、自然と共存してきたと言っても過言ではないでしょう。
文明が進み科学は発展し、現代では自然破壊が叫ばれるようになりました。
森には精霊が宿り、川にも魂が棲んでいるというアニミズム思想に基づけば、過剰な森林伐採などはとてもできないはずです。
今こそ、アニミズムの思想を思い出すときなのではないでしょうか?
日本アニメは、地球上に存在する全てのものに敬意を払い、感謝を忘れないことを教えてくれているのかもしれませんね。