アセンデッドマスターという言葉をご存知でしょうか?
最近では、海外の有名なスピリチュアルリストの影響などで、オラクルカードなどにもよく使われるキーワードになりました。
アセンデッドマスターとは、この世での修行により、精神が次元上昇できるほど成長した導師達のことです。
海外にゆかりが深いと思われがちなアセンデットマスターですが、実は日本にもマスターの伝説が残る場所があるのです。
今回は、そんなマスターの一人であるサナトクマラと、その伝説の地に関してお伝えしていきます。
サナトクマラとは
サナトクマラとは、アセンデッドマスターの一人です。
このサナトクマラという存在は、何万年も前に金星から地球へ降りてきたと言われており、その目的は地球のネガティブな闇エネルギーを浄化することにありました。
サナトクマラは、地球上に存在する様々なマスター達が集合する場所、白色同胞団のリーダーでもあります。
サナトクマラは、高次の存在なので肉体を持ってはいません。
そのため、光や炎というイメージで見られることもあれば、必要な時には人間の姿になることもできます。
実は、このサナトクマラ、日本の鞍馬山で、魔王尊と呼ばれ祀られています。
鞍馬山とは
鞍馬山は、京都にあります。
牛若丸(源の義経)の伝説というと知っているという人も多いのではないでしょうか?
牛若丸は、ここで天狗から剣術や妖術の指南を受けたと言われています。
天狗=妖怪というイメージですが、この存在は精霊であるとも言われており、鞍馬山が自然霊や精霊の宿る霊山である事がうかがえます。
鞍馬山の歴史とその信仰
鞍馬山では最初、毘沙門天が主神として祀られていました。(一説には、この事業に関わったのは、鑑真和上の弟子であると言われています。)
その後、時代の流れの中で、千住観世音も祀られるようになりました。
そして、1947年頃、ヨーロッパの神智学に影響を受けた鞍馬寺の当時の住職によって、魔王尊(サナトクマラ)が祀られるようになり、毘沙門天、千住観世音を含む三位一体の信仰が行われるようになりました。
毘沙門天は光と太陽の精霊、千住観世音は愛と月の精霊、魔王尊(サナトクマラ)は力と大地を司る存在として祀られています。
また、このサナトマクラを含む3つの存在を総称して『尊天』と呼んでいます。
神秘的なお祭り、ウエサク祭
鞍馬山では、5月の満月の日にウエサク祭と呼ばれるお祭りが行われます。
このお祭りは、海外ではウエーサーカー祭と呼ばれており、東南アジア、中国などでも行われています。
5月の満月の日は、天界と地上を繋ぐ通路が開けると言われ、地球に強いエネルギーが降り注ぎます。
人々は清水を捧げながら、自分だけでなく全ての人々のために、神々やサナトクマラに祈りを捧げます。
大変神秘的で幻想的なお祭りで、事前に予約すれば一般参加もできるようです。
機会があれば、ぜひ一度は参加してみたいお祭りの一つです。
レイキにも関わりのある鞍馬寺
鞍馬寺は、レイキ発祥の地と言われています。
ある時、断食後、洞窟にこもっていた男性が、突然雷のような衝撃を受けました。
そしてその後、彼は不思議な治癒能力を得たということです。
この男性に神秘的な能力を与えたのは、サナトクマラ、はたまた他の神々だったのでしょうか?
真実は謎のままですが、鞍馬山では不思議なことが起こるというのは、確かなようです。
強力なパワースポット鞍馬山
鞍馬山には、複数の神様が祀られていますが、その中でも最強パワースポット『奥ノ院の魔王殿』をご存知でしょうか?
この魔王殿は、先ほどご紹介したサナトクマラを祭る場所です。
参拝は、お寺の前にある大きな六芒星の形の床に立って行います。
この六芒星は、下向き▽と上向き△が合わさって構成される図形です。それらは、水と火、男と女など対立するものの調和を表していると言われています。さらに、六芒星の角は霊的惑星と対応しているとも言われています。
まとめ
いかがでしたか?
サナトクマラは精神体ですので、実体がなく様々な姿になることができます。
もしかしたら、牛若丸が出会った天狗は、サナトクマラであったのかもしれません。
サナトクマラは、自分の未来を切り開いて努力していこうとする人間の前に表われて知恵を授けます。
最近ちょっと心身共に疲れているという方、人生に迷っているという方、鞍馬山のお寺に参拝に行ってみてはいかがでしょうか?
山に生えている霊木を見るだけでもパワーがもらえますし、サナトマクラに悩みを相談してみたら、意外な解決策がもたらされるかもしれませんよ。
私はこの9月77歳になります。天之御中主神様=サマトクラマ様を、一神様といたし信仰しています。穏やかに過ごすさせていただいております。感謝であります。
ジュワクール覚者曰くサナトクマラの進化は桁外れで、私達から見たらキリスト教の人格神に相当する惑星ロゴスに準じた存在とのこと。軽々に語れる存在ではないと思う。