笑うとNK細胞が増えるそうです。このNK細胞はガン細胞をやっつけます。医学上の因果関係は発表されていませんが、怒りという感情は『ガンの誘引』にもつながるともいわれています。
興奮しやすい人には狭心症が多く、胃腸を内視鏡で観察すると、胃壁や腸壁の血管が膨張し、充血がみられるという状況が起きているそうです。薄い皮膜に覆われ血管が多く通っている場所、内出血したら病気にもならないわけはないでしょう。
怒りがエスカレートすれば、充血が炎症をおこし、ひどければ出血したり、繰り返すことによっては潰瘍にもなります。
こういった事実が、怒れば病気を引き寄せて寿命が縮み、穏やかで平常心で笑っていられれば寿命が延びるといわれるゆえんなのでしょう。
いつも穏やかでいることはたいへん難しく、修行といってもいいくらいです。怒りが全くない、怒らない人、それは神様・仏様の心の持ち主なわけですが、そうなるためには相当な努力、悟りが必要です。
この人類の中でも達した人は、ほとんどいないと言っていいでしょう。だから、聖人といわれるさきがけの悟った人々は、何者にも乱されない心の中の平和を求めて辛い荒行や、座禅、ヨガ(瞑想)を行ったのです。それを人のいない厳しい自然の中で行うことも苦行ですが、人とたくさん関わりながら悟っていくことは何よりの修行と言えます。
ずっと健康であり続けるために、怒らないようにするためにはどうしたらいいのでしょうか。
いろいろな怒らない技術が出回っていますが、ほとんどは深層心理まで届かない表層意識の怒らない技術が多いので、自分の態度を直すだけで心は抑圧したままの方法が多いです。
そうなると、ストレスも溜まり長続きはしません。心にしこりが残り、根本の解決にはなりませんので、ここではもっと深い潜在意識に働きかける方法をお伝えします。
やる気と信念のある方は絶対に自分のものにでき、怒らず長生きができます。怒らないでいられればあなたの寿命が伸びるかもしれない、怒らない技術を身につける9つの方法を段階的にお知らせします。
まず落ち着く
次にどうすればよいのかを考えなければいけないのですが、怒りから取り返しつかない言動を起こすその前に我に返りましょう。一歩離れて自分を見てみましょう。
カッカしたままだと、怒りにまかせとんでもない言動を引き起こし最悪の事態にもなりかねません。自分を冷静に感じられる状態、『平常心』になるために、落ち着くまで腹式呼吸を数回行います。
腹式呼吸をするときにポイントとする場所は、おへそから指3本下にある丹田です。丹田を意識しながらゆっくりと腹式呼吸を落ち着くまで繰り返します。
そのとき、おしりの穴は締めます。自分の状態を観察してみてください。怒っている時というのは自分の意識が頭のてっぺん、上の方まで気があがっていませんか? 足の裏はふわふわと柔らかく、力が抜けていませんか? 地に足がついていない状態です。
落ち着いている時というのは自分の意識がどっしりとしており、足の裏はしっかり地面についています。落ち着いてくると冷静な判断や思考が生きる状況になれます。
怒りを感じる
職場、おつきあい上、家庭でもイラッとしたり怒りがでてくるシーンがあると思います。怒ったときに『自分の怒り』に飲み込まれてカッカしてはいけません。
そこで、正しい判断力を失ってしまうからです。さきほどの、腹式呼吸でしっかり冷静な自分に戻ります。そこからの作業は怒りを感じていくことです。
怒ってはいけないと思っているとマインドは『怒らないぞ! 』の一点に集中してしまいストレスになりいつかは爆発します。
面白いことに人は『~してはいけない』というと、どう『してもしてはいけない方向』に心がシフトしてしまい、なぜだかそこにロックオンしてしまいます。ですから、最初に怒ってもいいんだ。怒っても仕方ないよね、自分は怒りを感じてもいいというマインドにしておくことがベストです。
してはいけないで育った子供はがんじがらめになり、大人になると応用力が乏しい手足のでない人が多いです。怒って当たり前な時に自分は怒っていいんです。その感情をねじ曲げないで感じましょう。
しあわせ、喜び、穏やか、心地よいなどの良い感情を味わうことというのは非常に心地よいものです。それに比べ負の感情を感じることは、とてもイヤなことですが必ずしなくてはいけません。
落ち着いた上で冷静な頭で『自分は怒っているんだ! 』ということを自覚します。『怒っている』『あー!腹立つ』『許せない』なんでもいいです。
まずは怒りを感じていきましょう。ここまでで、やっと怒らない技術体得への準備段階にきました。
我慢しない
もう怒る自分を見たからいいや! と早く、イヤな感情を切り替えたいためにせっかちな人や、わかったつもりの人がやりがちですが、怒りの感情を潰す、感じないようにすることはやめましょう。
イヤな感情なので見ていたくないのは誰しもが当たり前です。しかし、これでは、不完全燃焼でまた繰り返し同じ罠にはまってしまいます。
一見、ポーカーフェイス、いつも笑顔、外見が見せかけの穏やかな人にこのタイプは多いです。顔は笑っていても、はらわたが煮えくり返っています。こんな人は一番怖いタイプです。
極端な例ですがこんな人は深いお腹の底で、相手を恨み、呪います。こんな無意識レベルの負の攻撃は本当に効果があるものです。それは、形には現れませんし、何の物的証拠も残りません。
今までに恨んだ相手に対して良くないことを願ったり思ったりしてそのとおりに相手がなってしまったことはありませんか?
たとえば、その相手が事故にあうとか、病気になるとか災難に巻き込まれるなどです。それは、あなたのエネルギーがその要因を作り出したり、きっかけになったのかもしれません。
それだけ殺意、人の怨みのエネルギーは効果が強いのです。しかし、相手がそうなってしまったあとには宇宙の法則で、絶対に自分に倍返しがくることは知っておかなければいけません。
また、怒りを押してつぶして相手に向けていない人には、自分の体に影響が出るケースも多く、難病やガンなど自己破壊的な病魔がついてくることもあります。怒りを我慢し、平常心を装うということはこんなに悪い影響が出るものだと心しましょう。
何より、怒ってないよと主張する人は心の広いことをアピールしたい、あなたなど相手にしていない、少しのことでは自分は動揺しないと平然としていますが、実は心の中ではメラメラと怒りの炎が燃えている気位の高い人に多いのです。
ごまかさない
さきほどの我慢と同様です。怒っている感情を心地良くないがために、ほかの楽しい感情にすり替えるという心理が瞬時に働くケースがあります。これは親に対して小さい子供がしているということが多くあります。
たとえば、自分は何も悪くないのに頭ごなしに怒られた、体罰を受けた。親に怒られて納得がいかない。でも子供というのは庇護者である親に捨てられたくない本能、愛されたい、認められたいと、表面は従順に振る舞い怒りを表に出さないで感じなくします。愛されたいという一心で、怒りとは違う反応をします。
そうやって大人になった人はその部分が歪み、前項の我慢している状態の心になっています。突然、成長した子供が親に手を挙げ反撃したりということも起こりうるのです。
小さい時はあんなに聞き分けの良いいい子だったのに、とよくいわれます。しかし、今に始まってことではなくその子には、小さい時からすこしづつ怒りが心の中で育まれていたのです。
大人でDV関係の被害を受けている側にもそんな人はいます。結果、形は被害者になり相手を恨み、心の中では相手を呪い殺さんばかりのネガティブエネルギーを発しながらも離れられずにいます。その怒りを発した結果は自分に返ってきますし、それは永遠に堂々巡りをします。
あの人は嫌いだ、あの人は怖い、あの人は苦手だと思うことは人間ですから仕方ありません。
『人を嫌う、悪く思う=自分は悪い人』と思うことは間違っています。それは、思っていいし、仕方ないことです。
人間は百人十色で相性の良い人も悪い人もいます。まず、自分はあの人が嫌、苦手なんだと思っていいから、心でそのイヤを味わいましょう。良い人を演じて周りにも自分にも嘘をつく方が何よりも罪な偽善者なのです。
誰も知らない見ていないといっても自分をごまかすことだけは心にしこり、後ろめたさ残し、そのやましさを隠すために嘘を重ね事実がねじ曲がっていき正しい判断ができなくなっていくばかりになります。もちろん、表立って嫌いと言い放つこと、相手の批判は非常識ですので口は慎みます。
怒りを味わう
次に、味わいます。この味わうということは難しいことです。なぜなら、ずっと申しているように、負の感情を感じることは心地よいものではないからです。
ここで気分が悪いと、心地悪いと、怒りを味わうということをしないで、我慢と誤魔化しに続き、ほかの思考に転嫁させれば失敗です。怒りがねじ曲がってしまいます。怒りがくすぶっておなかの奥の方で火種が消えないまま火を噴く機会を待つ状態になるのです。
『なんで腹が立つのだろう』ということを考えましょう。その場の空気、なにがおこったのか、だから自分は怒っているんだ! を味わっていきます。
味わうというのを感じたあとに、冷静に状況をみて『こうなったから、自分はこうなんだ』と感情を見ていくことです。次の順当な手を打つ前に、だからどうしようとあせりは禁物です。
とにかく『こうして、こうなって、怒ってるぞ~! 』を味わいましょう。このイヤな感情を味わうからこそ、失敗を繰り返さなくなるのです。
原因を探る
落ち着き、整理できてるでしょうか。冷静に今の状況が見えてきたら、いろいろ理解できます。
怒っているのは何に? 誰に? 何が起こったのか? 攻撃されたとか、不利な状況に陥ったなどいろんな状況をみていることと思います。
そこで、振り返りたいのですが、一方的に自分以外が悪かったか冷静に見ます。微塵でも自分の要因がなければよいです。が、イヤな気持ちや相手に対しての後ろめたい部分などなかったでしょうか? 深層心理をみると、ほとんど起こってくる現象を引き起こす原因は自分発信にあることが多いです。
面白い事例があります。A子さんは嫌いな相手B子さんに、作り笑顔で挨拶をしたら、無視されました。A子は『なんて常識がない』と相手に腹を立ててしまいました。
もちろん、無視した事実は大人気ないです。しかし、もしかしたらその状況で挨拶の声が相手には聞こえなかったかもしれませんね。
結果は置いておきます。『嫌いだけど作った笑顔』という嘘をついた、人を見下したエネルギーは相手に無意識レベルで届いています。
B子はイヤなエネルギーを感じ取り、何らかの形で反応ができなかった、しなかったのかもしれません。相手を悪者にして、嫌いだから遠ざかるということをこの一連の中でA子さんはやりました。
こんな事例からわかるように、自分から発信して問題を作ることで相手を悪者にして自己破壊につなげることがあります。A子の挨拶は最低ルールなので、作り笑いなど余計な工作はしないで、普通に何も感情をのせないですれば問題はないのです。これはなかなか自我が減っていかなければ理解にたどり着けない気づけないところです。
相手をわざと怒らせる技を人は持っています。
今の自分が好きですか? 今の自分に自信がないですか? そんな人は巧みに目の前の人を使って自分を責めさせる、攻撃させて相手を挑発し巻き込むことを起こします。
まず、そこまではその無意識なつながりには、ほとんど気づけないと思います。自分がネガティブであったなら、それを起こしているということは頭に隅に入れておきましょう。
成功者をみてみればわかります。何事もトラブルなくうまくいっている人は、自分で自分を責めることはないです。人のことも攻めません。だから、進んでいく過程で周りには障害がなくスムーズに成功できるのです。
では、それも踏まえ何で自分は今、怒っているのか見ていきます。自分の欠点を、ミスを、プライドに触ったのでしょうか。理不尽なことでしょうか。冷静に見ていきましょう。
周りは変わらない
さきほど、基本は全部自分から発信しているということを知りました。
今、この世界に生まれたこと、ここに生きていること、ここでこうして生活していること、この暮らしは全部自分の選んできた道です。一度死んで生まれてこないとわかりませんが、自分の生まれる場所は自分の行いで決まってきます。望む環境を選んで生まれてきたければ、それなりに今を生きなければいけません。
今の状況や周りの人間関係も、自分の選択です。
だから、怒りたい人は周りに自分を怒らせる人を配置することが心地よいのです。そんな人は穏やかで何もないところに波風を立ててトラブルを起こし、荒波の中に身をおきたくなります。
相手が悪いのではありません。自分が周りを怒らせているということを知らなければいけません。
では、怒ることを辞めるにはどうしたらよいか。怒らせないような自分になることです。それは難しい、無理ではありません。
自分でそうしてしまったから、自分で願えばなれるのです。自分が本当に穏やかで笑っていられることが心から望めて、それが心地いいなら自分でそうする努力をすることです。
自分が変わる
抽象的で難しいかもしれませんが、単純なことです。選択はいつも二つしかありません。
やるか、やらないか。怒るか怒らないか。あとでやる、いまは仕方ないからと、先延ばしにすることはやらない事と同じことです。
やれば、つきあう人を自分で選ばなくても、自然とくっついたり離れたりで自分の心地よい仲間に入れ替わってきます。無理して自分から苦手な人にアプローチし、合わせて付き合う必要はありません。人は自然と同じような一緒にいて心地よい人に集まるからなのです。
究極、自分の選択しだいで怒りのない世界に住むことができます。自分は悪くないとしか答えのでない、自分の責任を取れず人の責任にしている人には、一生かかってもまず無理です。
来世も同じか、それ以下の環境に生まれ生きることでしょう。今すぐに怒らない、怒らせないという選択をして何か始める前には、深呼吸をしてから『自分は穏やかにいる』と決めて物事に取り掛かりましょう。全て自分です。
逆に、あきらかに相手が一方的に悪い場合で、こちらを怒らせてきたら、乗らないことです。乗ってしまうことは(相手を攻めたり、仕返しすること)相手の思うツボで、一緒に堕ちて波動もさがります。この状況を味わいきり感じきりうまく切り抜けましょう。
長生きしたければ、時間の無駄です。
怒りのキャッチボールは断り、仲間にならないで、自分の道を進みましょう。こんな自分を貶めようとする試練は何度も来るうえ、それは形を変えて高度にもなってきます。これが、試練です。
その都度修行だと思い突破すれば、だんだん住みやすい怒りのなくなる環境に身を置いていくことができます。それが、自分が変われば周りが変わるということです。
怒らないようにするためには、自我を減らしていく、それだけしかありません。それは非常に難しいとされていますが、プライドと頑固さ、高慢な知識を削れば何も難しくはないのです。
広い心になる
広い心になることが最強の怒らない技術なのです。自分がイライラしていれば心に余裕がなくなり、ほんの些細な出来事にすら腹立たしくなるものです。
時間に余裕がない忙しい時もそうです。そんなあせる心のまま、ことを運べばうまくいくはずが失敗に終わることも多いでしょう。
何事にも余裕が大切です。時間には余裕を持ちましょう。
待ち合わせや会議には早めについて待ち、深呼吸をして心と体を整えてから話す。怒らない以前に冷静に対応ができます。
心もそうです。悩んだり落ち込んだり、前のことをグズグズ引きずっていては、心の中に考える隙間は生まれて来ない、入る余地もないのです。
ですから、いつもリフレッシュして次に向かいます。その日の汚れは、その日のうちに落とします。夜寝る前に一日の反省をすることで次の日への向かう姿勢も変わります。
反省は悪いことばかりではありません。良かったこと人に喜ばれた役に立ったことを自分の中にフィードバックすることで、喜びも倍増し次への糧となります。
誰か良い聞き役がいてくれたら、一緒に喜んでくれること間違いないでしょう。そんな喜びも悲しみも聞いてくれる人が一人づつ増えるためには怒らない技術を身につけることが一番なのです。
まとめ
いかがでしたか?
今まで、怒ったことが無いという方はほとんどいないことでしょう。
振り返ってみてください。今まで、怒ったことによってよい結果になったことはあったでしょうか。
自分はすっきりしても、怒りを発散した相手側はどうだったでしょうか。怒りとは円満な解決にはならず、必ず微塵ほどの点のようであっても傷を残してしまうものです。
いろんな場面で怒る場面が出てきたらこれまでの反省と失敗はつねに心には止めましょう。
誰にでも怒りはあります。怒りのない人間は神です。
怒る頻度が多いか少ないか、怒りを表に出すか出さないかが一般の人の中での差となります。表に出さなければ良いというのではありません。
怒りのエネルギーは相手に矛先が向けば飛んでいきます。ですから、表に出さなくても相手にはダメージを与えています。
目には見えず物質的にはわかりませんが、猫の皮を被っていても猛獣の心はもう相手をその牙で襲っており、無意識レベルで攻撃しダメージを与えています。
『思うという行為』は『実際にやる行為』と同じです。
誰も見ていないと思ったら間違いです。見ているとしたら神様、自分の中の良心、自分の魂はわかっています。
一生後ろめたく、絶対に隠して忘れてしまっても。ふとした場面で絶対に自分に返ってきます。うまくいっている時の邪魔の、魔がさすというのは自分の魔で後ろめたいから貶めるために邪魔をするのです。
また、怒りの邪気を相手に飛ばさない人は、自分を攻撃します。怒ることを我慢して自分の体を悪くし、痛めつけ健康を害する人もいます。
だから、怒らない方が長生きできるのです。怒りはなくなりません。少しづつ努力が必要ですが、あきらめずに怒りを減らしていくことはできます。
そうすれば、だれしも良い人生になることに違いありません。だれも、怒る人や、顔で笑って心で起こっているような嘘つきな人とは一緒に居たくないものです。
少しの心のゆとりで怒りをなくし、丸い人になれば周りも自然と変わります。付き合う人の種類も変わり、怒らない人とのつきあいで平和で長生きする人生が望めます。