『鬼は外! 福は内! 』
節分と聞くと、日本人のほとんどが豆まきを思い浮かべるのではないでしょうか。
現代では、節分は幼稚園や保育園などでは先生が、家庭では親が鬼の面をつけて豆をぶつけに来る子供たちから逃げ回る、楽しいイベントという認識が強いですよね。
また、鰯(いわし)や恵方巻きなどを食べるという風習も、楽しみのひとつかもしれません。
ところで、あなたは本来の節分の意味や由来、豆まきのやり方を知っていますか?
今回は、豆まきの話を軸に、節分に関する『豆』知識をお伝えいたします。
節分とは
『節分』と聞くと、立春の前日である2月3日のイメージが強いはずです。
しかし本来の節分は『季節を分ける』という意味で、季節が移り変わる節目の日を示しています。
現代のカレンダーではなく、日本の暦(こよみ)、いわゆる旧暦(きゅうれき)といわれるものには、季節の変わり目として、二十四節気(にじゅうしせっき)という季節の移り変わりの目安が設定されていました。
その中でも、立春(りっしゅん・2月4日ごろ)、立夏(りっか・5月7日ごろ)、立秋(りっしゅう・8月7日ごろ)、立冬(りっとう・11月6,7日ごろ)は、四立(しりゅう)と呼ばれ、大きく季節が変わるという意味で重要視されていました。
その季節が大きく移り変わる前日を『季節を分ける日』と考えて『節分』と呼び、節分は本来は年に4回あるのです。
なぜ、2月3日だけが節分として残ったの?
立春は、旧暦でいうところの『新年』にあたります。
そのため、立春の前日の節分は、大晦日にあたります。
時代に関しては、室町時代や江戸時代など諸説ありますが、1年の始まりである立春とその前日の年を分ける節分を重要視したことから、しだいに節分といえば、年の節目でもある立春の前日を意味するようになっていきました。
豆まきの由来
今も昔も、季節の変わり目には風邪やインフルエンザが流行ったり、気鬱からの体調不良などが増えます。そのため、必然的に様々な理由での死者が増えます。
現代であればその理由もある程度解明できますし、医療的措置も可能ですが、昔はそうはいきませんでした。
人に分からない災難は、鬼のしわざ。
当然、風邪などの流行病(はやりやまい)も、気鬱も、それが元で亡くなった場合も、全て鬼のしわざ、鬼の瘴気(しょうき)に当てられて呪い殺されたとされていました。
そのため宮中では、年と季節を分ける大晦日に『追儺(ついな)の鬼』と呼ばれる、人間が心に溜め込んでしまった、妬み、嫉み、僻みなどの、邪気から生まれる鬼を祓う行事が行われるようになり、翌年の無病息災を祈りました。
この追儺の鬼という儀式では、方相氏(ほうそうし・鬼を祓う役人)が4つの金色の目を持つ面をつけ、右手に矛、左手に大きな楯を持って、侲子(しんし)と呼ばれる役人とともに、「鬼やらい、鬼やらい」という掛け声をかけながら大内裏を回ったそうです。
それが平安時代になると、儀式での方相氏の役目が、鬼を祓う側から鬼として追われるようになっていきました。
この追儺の儀式こそ、現代の『豆まき』の元といわれています。
追儺の儀式は、いつごろから豆まきになったの?
当時、豆まきは『豆打ち』と言いました。
壒嚢鈔(あいのうしょう)という室町時代の中期の辞典には、『日本で最初に豆打ちを行ったのは、宇多天皇(うだてんのう)の御世である』と書かれています。
原文は難しいので、ものすごく簡単に要約すると・・・
鞍馬山の奥深くに2頭の鬼が住んでいて、都を荒らしてやろうと計画を立てていました。
しかし、鞍馬寺の偉いお坊さんが、毘沙門天のお告げによってその計画を知り、主上(おかみ・天皇)にお伝えしました。
主上から宣旨(せんじ)を受けた陰陽博士などの役人たちが、鬼の棲家を祈祷で塞ぎ、三石三升の炒り大豆で鬼の目を打ち潰したため、鬼たちは逃げていきました。
また、毘沙門天のお告げの中には、『聞鼻(かぐはな)という悪鬼が人を食べにきたら、鰯を家の門に刺しなさい』というものもありました。
豆まきも、柊鰯(ひいらぎいわし)も、現代まで残る節分の風習ですが、どちらも毘沙門天様からのお告げだったのですね。
ただし壒嚢鈔でも、『確かではないけれど、記録の中ではそういう話もありますよ』というニュアンスで記されており、間違いないとはいえないようです。
なぜ、豆なの?
毘沙門天のお告げがあったとはいえ、恐ろしい鬼を相手に豆で戦うなんて・・・と、現代であれば考えるはずです。
しかし、昔の人は本気で炒り大豆で鬼を追い払えると信じていました。
古来から日本では、『穀物や果実には生命力と邪気を祓う霊力が宿っている』と考えられていたからです。
とくに、豆は魔を滅する『魔滅(まめ)』といわれ、強い霊力が備わっているとされていました。
鬼の目である魔の目(魔目・まめ)に、豆を射(炒り豆)て魔を滅する(魔滅・まめ)!
日本人って、昔から語呂合わせが大好きな民族だったんですね。
豆まきに使用する豆
豆まきには、必ず炒った大豆を使用しなければなりません。
『魔目を射る炒り豆』という語呂合わせだけではありません。
生豆をまいた場合、拾い忘れてしまった大豆から芽が出てしまうと旧年の災厄を負うとされたり、鬼にぶつけたもの(邪気に触れた豆)が芽吹くのは、悪い目(芽)が出るとの考えから、縁起が悪いものとされています。
また、陰陽五行説における鬼や大豆は『金』にあたります。『金』を滅するといわれているのは『火』。つまり、大豆を炒る=金を火で滅する=鬼を封じる、という意味になります。
お店では豆まき用の炒り豆が『福豆』という名前で売られていますが、本来は炒り豆を升(ます)に入れて神棚に供え、『福呼びの儀』を行うことで、正真正銘の福豆となります。
ちなみに、升は『増す』に通じるという縁起の良い語呂合わせから、豆の力が増すといわれています。
※福呼びの儀に関しては、節分に行う豆まきの正しいやり方のところで詳しく説明しますね。
豆をまくときの掛け声
もっとも一般的なのは『鬼は外、福は内』です。
しかし、鬼を祭神や神様の御使いとしている神社仏閣や宗教、また、鬼という文字の入った姓を持つ家庭や地名に縁がある人などは、鬼は外ではなく、『鬼も内(鬼は内)、福も内(福は内)』と唱え、敬意を表する場合もあります。
節分に行う豆まきの正しいやり方
節分の豆まきは、いわゆるイベントではなく『無病息災の祈願と福を呼び込む儀式』です。ですから、いくつものしきたりがあります。
上記と重複する部分もありますが、順を追って正しい豆まきのやり方をお伝えします。
1.準備するもの
節分には、炒った大豆、升(ます)もしくは三方が必要となります。
福豆として市販されている節分用の大豆は、ほとんど炒ってありますので、自分で炒る必要はありません。
大豆を升や三方に入れて、神棚や仏壇にお供えします。
升や三方が家にない場合は、パッケージ袋のままで構いませんが、袋の口は開けておきましょう。
神棚や仏壇にお供えする日は
- 三日間神棚に供える地域
- 前日に生豆を升に入れて神棚や仏壇にお供えし、当日の日暮れまでに豆を炒る地域
- 節分当日の夕暮れまでに炒った豆を升に入れてお供えする地域
などあって、土地の風習により違いがあるようです。
これは、どれが正しくてどれが間違っているということではなく、いわゆる流派の違いのようにとらえるといいかもしれません。
家庭に神棚や仏壇が無い場合は、近くの神社仏閣へ行き、しっかりとお参りをした後で、お賽銭箱の上に豆を置いて『節分用の祓い豆にしてください』とお願いするだけでも効果があります。その際、豆はパッケージ袋のままで構いません。
神社仏閣へ行くことも困難な場合は、家の中でとくに清浄と思われる、目線よりも高い場所に、白い紙を敷いてお供するといった簡易的な方法でも大丈夫です。
2.豆まきをする時間
現代では幼稚園や保育園などのイベントとして行われることが多いので、昼間に豆まきをするイメージが強い気がしますが、本来は夜に行うべき儀式です。
そもそも鬼の語源は、隠(おぬ)や陰(おん)が変化したもので、陰に隠れているものという意味があります。
また鬼門となる丑寅の時刻が午前2時~4時という深夜の時間帯となることからも、鬼は夜に出るものです。
したがって、夜にやって来る鬼を退治するためには、夜に豆まきをするのが正しいです。
3.豆をまく人
大切な年中行事なので、基本的には一家の長の役目となります。
もしくは、その年の干支に生まれた縁起の良い人にあやかる(邪気を祓う効果が高い)という意味で、年男や年女が豆まきをするケースもあります。
ただし、どちらの場合も厄年にかかっているときは、豆まきをしてはいけません。
豆まきは、人の体から邪気を抜き取り、豆に移して封じることで鬼退治をするものですから、厄年の人が豆をまいてしまうと、逆に厄年の厄を家にまくことになってしまいます。
また、豆にも厄(邪気)が含まれてしまい、それを食べた家族にも厄が移ってしまうと言われていますので、厄年かどうかは気にしたほうがいいでしょう。
ただし、神社仏閣など、神仏の加護の元で行われる豆まきの場合は、厄年であっても問題ありません。
4.鬼役
基本的に、豆まきには鬼役は必要ありません。
ただ、厄年の人がいる場合は、その人に鬼役になってもらって、たくさん豆をぶつけて、厄払いをするのもいいでしょう。
5.祓いの儀
- 家にある窓や外につながっている扉を、全て開け放ちます。
- まず最初に、鬼が現れる場所とされる鬼門を、鬼が入ってこれないように封じなければなりませんので、家の中心から見て北東に豆をまきます。北東に位置する部屋や壁、窓がある場合は窓から外に向かって、『鬼は外!』 と声を出しながら豆をまいてください。
- 次に、鬼門(北東)から裏鬼門(南西)に繋がる、鬼の通り道となる『鬼道』を封じるため、『鬼は外!』 と豆をまきながら南西へ移動し、南西の部屋や壁に着いたら、北東のときと同じように豆をまきます。このとき、もしも家族の中に厄年の人がいる場合は、厄年の人を裏鬼門(南西)に向かって立たせ、その背中に豆をぶつけてあげてください。ぶつけた豆に厄(邪気)が移り、厄年の人の穢れ(鬼)が裏鬼門に抜けていくといわれています。
- 鬼道を封じたら、残りの部屋、トイレ、バスルーム、クローゼットなど、各所に豆をまいてください。
- 最後に、玄関から外に向かって豆をまきます。このとき玄関は開けっ放しにしておいてください。
5.福呼びの儀
- 祓いの儀でまいた豆をすべて集めて、鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に置いてください。こうすることで、鬼門と裏鬼門を封じたまま、福を呼び込むことができます。
- 玄関から福を呼び込むため、玄関だけを開け放った状態にして、残りの窓や扉はすべて閉めてください。このとき、玄関以外の窓や扉など、外に繋がる部分が開いていると、そこから福が逃げて行ってしまいますので注意してください。
- 玄関をキレイにしてから、まずは玄関の外から『福は内!』 と玄関の中に向かって下手で豆をまきます。これは祓いとは逆に、外の良い気を豆に封じて、その豆を家の中に入れることで、福を呼び込むというものになります。
- 次に玄関を閉めて、鬼道を封じたときのように、今度は南東から北西に向かって『福は内! 』と言いながら、下手で豆をまいていきます。
- 祓いの儀と同様に、その他各所に『福は内! 』と下手で豆をまいていきます。
- 福呼びの儀でまいた豆だけを拾い集めて、この年に自分がなる年齢の数より1つ多い数の豆を食べます。(例:今年二十歳になる人は21粒の豆を食べる。)
福呼びの儀でまいた豆は、福を宿した『福豆』となり、それを食べて福を体内に取り入れることで、体内の穢れも払うことができます。
この体内の穢れは、人に巣食う鬼。これで完全に鬼退治完了となるわけです。
余った福豆は、集めて神棚や仏壇にお供えしておくと、神仏の加護をいただけます。
加護をいただいた豆はもったいなので、料理などに使って食べるといいでしょう。
また、鬼門と裏鬼門に集めた祓いの儀でまいた豆は、穢れを宿しているので、絶対に食べてはいけません!
小分けにして半紙に包み、鬼門、裏鬼門、トイレなど、穢れとされる場所に置きましょう。そうすることで、穢れを封じて場を清め続けることができます。半紙が無い場合は、ティッシュで包んでも大丈夫です。
まとめ
節分で豆まきをする意味や由来、そのやり方などを知ることで、節分は大切な伝統行事であり、かつ、季節の節目であるとともに運気アップの節目でもあることがおわかりいただけたかと思います。
『由来とか意味って、ほとんどダジャレじゃん! 』
『儀式? めんどくさ! 』
と感じてしまわれた方もいらっしゃるかもしれませんが、古臭くて小難しいしきたりでも、良きものは後世に受け継いでいきたいものです。
とはいえ、その時代ごとに儀式の有り様は変化していくもの。
頭ごなしに『違う! ダメだ! 』と言うのではなく、豆まきなどの行事が、たとえ楽しいイベントになってしまったとしても、臨機応変に受け入れる、それもまた時代に合った形なのかもしれません。
何よりの福は、人々の笑顔なのですから。