狐は日本の昔話などでも、狡猾で人を化かす獣として描かれていることがほとんどです。
たいていの人が子供の頃に、1度は流行ったであろう『こっくりさん』
『興味本位で行うと狐さんに取り憑かれるよ! 』と言われても、怖いもの見たさで震えながら十円玉に指を置いた人も多いのではないでしょうか。
現代では狐憑きは迷信と考えられていますが、そもそも『狐憑き』にはどういった症状や特徴があるのでしょう。
あなたは本当に迷信だと思いますか?
狐憑きとは?
その字のごとく、狐憑きとは、『狐の霊に憑依された人』のことです。
そのほかにも、蛇、狗神(いぬがみ)、河童など、人に禍(わざわい)をもたらすといわれている、低級ながら霊力の高い動物霊に憑依されることも、総称して『狐憑き』と呼ぶ場合があります。
また、狐を霊威ある動物として、信仰の対象として祀っていたり、家系に憑いていると考える『憑きもの筋』のことを『狐憑き』と呼ぶこともあります。
狐憑きの『狐』は死んだ狐の霊なの?
狐憑きの『狐』は、いわゆる浮遊霊や地縛霊のように、この世に未練を残したまま死んだ魂が現世に留まり、悪霊化したものではありません。
狐憑きの『狐』とは、どんなものなのでしょう。
1.神様の眷属(けんぞく)の成れの果て
神道において、神様は神意を現世に伝えるために、特定の動物を遣わすことがあります。
その動物のことを、眷属(けんぞく)や神使(しんし)と呼ぶのですが、狐もその一種で「稲荷神の御使い」といわれており、稲荷神社には狛犬ではなく狛狐が据えられています。
眷属となるのは、長く生きることで知性と神通力を持った狐や、神様が作り出した無垢な狐です。
狐たちは眷属としての使命を懸命に成していたため、現世の人々は狐を歓迎し、崇めるようになりました。
それはあくまでも『神様のお使い』であるからなのですが、獣の心が抜けきれていない一部の狐は
『民衆は神様のお使いである自分(狐)を崇めている。』
ということは
『自分も神様のように尊く偉い存在なのだ。』
と勘違いしはじめ、あげくに
『自分は神様である! 』
と名乗り、神様がいらっしゃらない神社や祠に入り込み居座りました。
しかし実際は、使命を忘れて自らの欲のために動いた時点で、神様の眷属ではなくなり、ほかの獣より霊力が強いだけの狐に戻ってしまっています。
神様から離れた狐にとって、信仰は霊力(エネルギー)です。
ですから、人々が供物を捧げて祈っているうちは神様のふりをして、気分次第で願いをかなえてくれることもありますが、気持ちが自分からちょっと離れると『きちんと崇拝しなさい! 』と罰を当てたり、呪って霊的な症状を引き起こし、信仰を取り戻そうとするのです。
2.自然霊としての動物霊
一度も生まれ変わったことがなく、かつ、一度も肉体を持ったことがない霊を『自然霊』といいます。
自然霊には、ただの光の塊のようなものから、現世に存在している植物や動物、人のような姿をしたものまで様々な種があり、分裂や産卵などを繰り返して繁殖しています。
肉体を持たない(見えない)動物たちが、私たちの周りで普通に生活していると思っていただくといいかもしれません。
そこで問題になるのは、一部の動物霊の中で、現世に生きる人間の体内を住処としたり、肉体や魂を食べることでそのエネルギーを糧として繁殖しようとする、恐ろしいものがいるということ。
その中でとくに多いのが、狐、蛇、蜘蛛などです。
あなたも、教訓として子供たちにも理解しやすい形で伝承されている、ちょっと怖い昔話を1つや2つは聞いたことがあるのではないでしょうか。
3.浮かばれない霊や恨みが強い人霊
あまりに強い恨みを残して亡くなったり、無念のまま亡くなった霊が集合した場合、人の霊も動物霊となる場合があり、その霊を総称して『狐』と呼ぶことがあります。
たとえば、四谷怪談や番町皿屋敷にあるような、強い怨みを残した個人の霊や、戦などで虐殺された武将や足軽、民衆の霊の集合体など、誰かの欲望のために理不尽に犠牲になった霊たちです。
許しの心を持てず、憎しみに囚われたモノは、獣と同じということなのでしょう。
この手の霊に取り憑かれた加害者は、『末代まで呪ってやる』の言葉どおり、家系に生まれながらの狐憑きがいたり、本人が生まれ変わるたびに狐が憑いてくることもあります。
4.思念、想念の融合体
憎しみ、妬み、悲しみ、空想や妄想などの、思念や想念が残留し、融合したものが動物霊となる場合があります。
たとえば日記などに
『あの子が私より幸せになるなんて許せない! 』
『浮気相手を殺してやる! 』
という思いや
『大好きな○○さんと添い遂げられたらいいのになあ・・・』
という想いを書いたとします。
本人は書いた事で気持ちの整理ができて、その時々、その場限りの感情として忘れてしまうかもしれません。
しかしそこには、『思い』や『想い』が残ります。
残留した『思い』や『想い』が塊となったものが『思念』や『想念』であり、ときに霊的な性質をもつことがあるのです。
その霊的な性質の思念や想念がさらに融合し、動物霊化(狐化)してしまい、自らに返ってきたり、関係のある誰かに取り憑いたりします。
狐憑きの症状や特徴
狐憑きになった人が気づかないうちに近くにいたら、ちょっと怖いですよね。
奇妙な行動をするようになったり、乱暴で口汚い言葉を使うようになったり、顔つきが変わったりというのが一般的な狐憑きの症状ですが、具体的にどのようなものがあるのでしょうか。
1.ヒステリックになる
何ということもないような出来事で突然感情的になり、泣いて、叫んで、喚いて、普段とはまったく違う乱暴な口調で暴言を吐きまくり、これでもか! というくらいに相手を罵ったりします。
一気に怒りが沸点に達して、手がつけられないほどに暴れだし、物を壊したり、暴力をふるったりと、精神的にも肉体的にも周囲を傷つけます。
2.感情の制御ができなくなる
ヒステリックになることと似ていますが、普段からイライラして怒りっぽくなり、悪い出来事や嫌な出来事が起こったわけでもないのに、この世の終わりのように気落ちしたり、わけもわからず泣きだしたりすることも。
また逆に、これ楽しいの? と思うような事で驚く程はしゃいだり、急に楽しげに大声で歌いだしたりと、感情が目まぐるしく変化します。
3.汚れが気にならなくなる
まったくと言ってもいいほど掃除をしなくなります。
整理整頓されていると落ち着かなくなるので、ゴミが散乱し、汚れていも気にせず、物も捨てられなくなります。
自分自身にも無頓着になり、お風呂に入らなくなったり、体臭も気にしなくなることがあります。
その結果、人間の家や部屋というより動物の巣のような場所で生活することになり、家のみならず自身の魂も汚れて穢れていきます。
スピリチュアル的には、ゴミ屋敷のようなものも、狐憑きによる霊障ではないかという考え方もあります。
4.狐面のような顔になる
盆踊りの夜店などで売られている、狐のお面のような顔つきになってきます。
いわゆる「狐顔」というもので、目尻が吊り上り、人や物事を値踏みするようにギラギラとしたキツイ目で見るようになります。
一目見て、別人のような目つき(顔つき)になっているので、霊視能力がない人でも気づきやすい症状といえます。
5.欲望が抑えられなくなる
様々な欲求が抑えられなくなるという症状がでます。
とくに飲む(酒)、打つ(ギャンブル)、買う(性欲)といった、大人の3大欲求に関しては、強く症状が出やすくなります。
どの場合も凶暴性と合わさることで、犯罪に発展する場合があるので注意が必要となります。
ダメだとわかっているのにお酒を呑むことが止められず、急性アルコール中毒やキッチンドリンカー、酒乱になる場合もあります。
競馬やパチンコ、競輪などのギャンブルが止められなくなり、多額の負債を背負ってしまうことがあります。
ダ男女問わず性欲が抑えきれなくなり、風俗にはまってしまったり、恋人などに自分の趣味嗜好を押し付け、強引な行為に及ぶこともあります。
また、単純に買い物欲が抑えきれず、借金をしてでも湯水のように金銭を使いたがったり、好きなものをどれだけ食べても満足できなくなったりします。
6.四つん這いで走り回る
症状が酷くなってくると、獣化が進み、狐のように四つん這いで走り回って鳴き声を上げたりします。
普通に道を歩いているときに、急に獣化し、四つん這いになってゴミを漁ったり、鳥や猫に襲いかかったりすることもあります。
狐憑きにならないために
狐憑きの症状はどれも恐ろしいものですから、回避できるものなら全力で回避したいですよね。
一番心がけておくべきなのは、君子危うきにつか寄らずで、『狐の住処に近寄らないこと』です。
しかし、山や森林を切り崩して住宅街として発展している場所は現在でも増加しており、引越した先が元々は狐の住処だったなんていうことも無きにしも非ずです。
人間でも獣でも霊魂でも、自分の住処を荒らされるというのは気分がよいことではありません。
人間同士なら話し合いで折り合いをつけることも可能ですが、相手は霊体の獣ですから、人間の理屈なんて通用しません。
では、いったいどうしたらよいのでしょうか?
狐憑きにならないための予防策は下記になります。
1.神社にお参りするときは、きちんと調べてから行く
本来、お参りに行くのですから、なんという神様が祀られていて、どういったご利益があるのかを調べるのは当たり前のことなのですが、これ、意外としていない方が多いのではないでしょうか。
先ほどの『狐とはどんなものか』について思い出してみてください。
自分を神様だと勘違いしてしまった狐が、人が管理しなくなった神社などに入り込み居座り、民衆に『信仰しろー信仰しろー』と脅し続けた結果、現代ではそれなりの神社として祀られているなんてザラにあります。
とくに稲荷神社にはこの類いが多く見られるので、「稲荷神社にだけはいかない! 」と決めていらっしゃる方もいるほど。
そういった神社は確かにご利益が高い場合もあります。
しかしそれは、とりあえず望みを叶えておけば、信仰の対象としてもらえるという打算からです。
自らの願い事や浄化のために、よかれと思ってお参りした神社から狐を連れ帰り、定期的に参拝しなくなると『信仰しろー信仰しろー』が始まり、気づけば狐憑きの症状が出てドン底! なんてことも。
ですから、お参りする際はその神社のことをしっかり調べてからにしましょう。
『噂に名高いパワースポットだから』とか『恋愛成就の穴場』という言葉につられ、よくわからないままにお参りしてしまうと痛い目にあうことがあるのです。
2.森林、神社の裏山、古い民家、などに近寄らない
こちらは、そのままの意味です。
森林や神社の裏山、古い民家は、狐や動物霊の住処となっているところが多く、そういった場所へはむやみに足を踏み入れないことが大切です。
3.家や土地の購入、引越しの際には注意しましょう
家やビルを建てるために「更地になっている土地」というのも案外厄介です。
元々が森林であったり、民家を取り壊した場所で、そこを住処にしていた狐や動物霊がいた場合、住処を奪われた狐たちが怒り狂ったまま、その場に留まっているかもしれません。
それを知らずにその土地を購入してしまったり、その土地に建てられた建物に入居してしまうと、恐ろしい思いをすることがあります。
土地などを購入する際や引越しの際に、『なんとなく嫌だなあ・・・』と感じたら、霊視できる人に見てもらってからの方がよいでしょう。
また、古いアパートや中古の家などに引っ越そうと考えている場合、敷地内のどこかに小さな祠(ほこら)などが建てられていたら要注意。
建物を建てる際に、きちんと地鎮祭をしたにもかかわらず、怒りをおさめてもらえなかった狐が祀られているかもしれません。
4.家をキレイに!
狐やそのほかの動物霊に限らず、汚れた場所、臭い場所は霊たちの憩いの場になりやすいです。
そんな霊たちに居座られたら、たまったものではありません。
とにかく、物を減らしてキレイにし、霊たちにとって居心地の悪い場所にしましょう。
狐憑きの症状が出はじめてしまった場合、既に掃除ができなくなっているかもしれませんが、どうしてもムリなら自分でする必要はありません。
汚れた部屋を見せるのは恥ずかしいと感じるかもしれませんが、辛い霊障を受け続けることを考えればずっとマシ!
誰かにお願いしてしまいましょう。
専門業者にお願いするのが一番手っ取り早いですが、経済的に難しいのであれば、思い切って家族や親戚、友達などに頼んでみてください。
狐憑きの症状が出てるかも? と思ったら
まずは、心療内科などのお医者さんに行ってみましょう。
今までお伝えしてきた内容で薄々気づいていらっしゃる方もいると思いますが、狐憑きの症状はいわゆる精神的な心の病や脳腫瘍などの病気に近いものです。
子供たちの間で流行っている妖怪のお話のように、なんでも狐のせいにしてはいけません。
お医者さんできちんと調べ、治療を受けた上で、それでも「おかしいぞ!? 」と思ったら、信頼できる霊能者さん、もしくはそういった類のお祓いを請け負っている神社仏閣にお願いして、しっかり除霊してもらってください。
狐をはじめとする動物霊は、『放っておいたら飽きたみたいで、ある日突然外れてました』ということはありません。
代々狐憑き、という例もあるように、一度憑くと長引くことも多いのです。
狐憑きより恐ろしい狐憑きとその連鎖
ここまでお伝えしてきた狐憑きは、由緒正しい・・・というと少し変ですが、本来の『狐憑きとはこういうもの』という内容でした。
しかし実は、本当の狐憑きよりもっと恐ろしい狐憑きがあります。
生きた人間が故意に作り出す狐憑きです。
スピリチュアルな思念想念のお話ではありません。
今から記すお話は、神社へ狐祓いに来た男性の家に伝わっているという昔話です。
とある村に、真面目にコツコツと農地を広げ、裕福とまでは言えないけれど、生活には困らず、村人からの信頼も厚く、美しい妻と幼い娘をもつ男性が住んでいました。
その土地の庄屋はとても裕福ではありましたが、ずる賢くて、がめつい人物だったため、自分より人望があり、美しい妻をもつ男性を妬んでいました。
そこで庄屋は、土地と、美しい妻と、成長すれば美しくなるであろう娘を手に入れるため、一計を案じます。
人望ある一家の父親は狐憑きで、夜中に肝をすすっていた、四つん這いで走り回っていた、などと狐憑きの症状について噂を流し、狐憑きだから農地を広げられたし、いずれは自分やほかの村人の農地も奪うつもりだろうと、まことしやかに言いふらしました。
集団心理というのは恐ろしいもので、土地の権力者が発した『ただの噂』はあっという間に『本当のこと』として村中に伝えられました。
人望ある一家の話など聞く耳を持たず
『あいつは狐憑きだ! 放っておいたら村が大変なことになるから皆で祓わなければならない! 』
と、ムリやり狐祓いをしたのです。
本当か嘘かはともかく、狐を追い祓う儀式がとても過酷なものだというのは、そういった内容のテレビなどで見てご存知の方も多いと思います。
その昔はさらに酷く、人の死に関しての規制もゆるかったので、狐祓いで人が死ぬなんてザラ。霊能者でなく村の人間たちが見よう見まねで祓うことも多かったそうです。
言ってしまえば集団リンチです。
なんの罪もない、善良に生きてきただけの人が、そのせいで一生動けなくなり、やがて死んでしまったというのに、全ては
『狐のせいだから仕方がない』
と村人たちは何の疑問も持ちませんでした。
一家は大黒柱を失い、力を合わせてコツコツと開拓した土地も、庄屋と村人たちに奪われました。
残された家族は当然納得なんてできませんでしたが、もしもそこで騒いだりしたら、自分たちにも狐が憑いているといわれ、酷い目にあわされると考え、口をつぐむしかありませんでした。
そして残された母親と娘には屈辱が待っていました。
よその土地でこの一件を話されると困ると考えた庄屋は、母親と娘をこの村に留まらせるため、生活の全ての面倒をみることにしました。
母親も幼い娘を抱えて、娘もろとも無宿人となるわけにもいかず、この村で生きていくためには憎い庄屋に面倒をみてもらうしかなかったのです。
事あるごとに
『あそこは狐憑きの家系だから母親もふしだらなんだ』
と言われようとも、我慢し続けました。
一方、嘘をついて村人を騙した庄屋は、狐憑きにいち早く気づき、村を救った英雄で、残された家族の面倒もみている人格者として、丁重に扱われていました。
一家の母親は生きるために、庄屋の慰みものにされながら心の中で呪い続けました。
数年たち、まだまだ幼さを残しながらも美しくこ成長した娘に、庄屋が魔の手をのばしました。
辱めを受けた娘は、穢されてしまった苦しみと悲しみから絶望し、自害をしてしまいました。
夫のみならず、娘まで辱められ、命を奪われ、怒り狂った母親は
『いっそ狐のせいにすればいい! 』
と刃物を持って庄屋の家に乗り込みました。
ですが、所詮はやせ細った力の弱い女性ですから、農業で鍛えた屈強な村人たちに、力で叶うはずもありません。
庄屋を殺せないと悟った母親は、手に持っていた刃物を自らの首に突きたて、血しぶきを上げながら
『こんな酷いことを平気でできるオマエこそ狐憑きだ! 私が狐となってオマエに取り憑いてやる! 』
と呪いの言葉を叫び、息を引き取りました。
母親の血を浴びた庄屋の身体からは、どれだけ洗ってもその血の痕が消えることはなく、その恐ろしさから死んでしまった一家を弔って生きたそうです。
しかしそれ以降、庄屋の家系には数年おきに、生まれつき赤い斑点のような痣(あざ)をもち、いわゆる狐憑きのような症状が出て、酷く苦しみながら若くして亡くなる男性が生まれてくるそうです。
この話をしてくださった男性にも、首から肩にかけて赤い斑点状の痣がありました。
ここでお伝えした話は一例ですが、これに限らず、歴史の授業で習う「村八分」などにも類似した話があります。
現代でいうならば、学校内や会社内のいじめなども、一歩間違えば同じようなことになるかもしれません。
生きた人間が妬みや嫉みから生み出す狐憑きは、身近に起こりうるものだからこそ恐ろしく、狐憑きから狐憑きは連鎖する可能性があるので、自分自身が狐にならないように普段から気をつけなければならないということです。
まとめ
いかがでしたでしたか。
狐憑きといっても、様々な成り立ちと症状があり、どれも恐ろしいものだということがわかったのではないでしょうか。
海外でも、『狼化妄想症』や『臨床人狼病』など、日本でいうところの狐憑きと似たものがあり、どちらも精神の錯乱や凶暴化といった症状がみられます。
場所は違えど、世界中でこのようなことが起こっている事実を『迷信』の一言で片付けていいものなのでしょうか・・・
それとも、まだ発見されていない『狐憑きウィルス』のようなものがあるのでしょうか・・・
考え方は人それぞれ。
しかし、もしも本当に思念想念が狐となるなら、あなたも知らず知らずのうちに狐を生み出し、誰かを狐憑きにしているのかもしれません。
大変興味深いお話でした。私も長年悩まされている現象があり、誰に話しても一向に解決しない為、この狐憑きが原因なのかとこちらのページにたどり着きましたが、やはり違うようです。 私の場合、友人、家族、職場等、生活のほとんどの場面で、言った言わないの辻褄が合わないもめごとが起こり、結果不仲になったり、職を失うという事がもう人生の大半なのです。例えば、親に「写真は思いを引きずられるので処分しなさい」と言われ、アルバムを処分、後々親からそんな事は一切言っていないと言われ、取り戻せないアルバムの口論となる。 ちょっと下らない一例でしたが、確かに言われたり、約束をした、命を受けた等の記憶が鮮明なのに、後々それがなかった事になり、一方的にキチガイ扱いを受けるといった現象が起こり、人間不信な人生を送っています。言うなれば、何かが一体着いてきては一人芝居をしているような感覚なので、これはキツネというのではないかと思いました。どなたかこの現象を解消できる術をお持ちの方、アドバイスを頂けたら幸いです。