チベットに伝わるチベット仏教を知っていますか?
インドより伝承された仏教は、チベットで大きく発展し、高度で充実した中身に高い価値があると世界各地で関心が高まっています。
しかしながら、チベットは現在中国の統治下にあり、チベット人は現在も難民となることを余儀なくされています。
チベット仏教の教えを理解するためには、チベット人の考え方やこうした歴史的背景も理解する必要があります。
それは、チベットは宗教国であると言われるほど、チベット人と宗教は切っても切れないものとなっているからです。
50年に渡る亡命生活をもってしてもアイデンティティーを持ち続けるチベット人は、チベット仏教の教えを体言していると言っても過言ではないでしょう。
チベット仏教とは何かを5つのポイントにまとめ、チベットの現状を折りませながらお話したいと思います。
チベット仏教の特色
古代チベットには、元々日本の神道に近い世界観を持つボン教という信仰がありました。
その後、7世紀前半ソンツェン・ガムポ法王の頃、仏教がチベットに広まるようになりました。
法王は、チベットの青年たちをインドに送って、サンスクリットを手本にチベット文字や文法を制定したのです。
さらにインドから伝承された経典がチベット語に翻訳され、チベット仏教の教えとして定着するようになりました。
小乗仏教、大乗仏教、密教、無上瑜伽タントラなど、全ての教えが揃っていることがチベット仏教最大の特色といえるでしょう。
その頃、仏教の本家であるインドでは、インドゥー教の台頭を機に、インド仏教は衰退の一途を辿ります。
インド仏教の最後の座主となったシャーキャシュリーバドラは、チベットに入り、大切に守ってきた全ての教えをチベット僧に託しました。
以来、チベット仏教はインド仏教を伝承し、価値を高め、現在、多くの人に開かれた教えとなっています。
また、チベット仏教の教えの基本には、『輪廻転生』の考え方があります。
自分自身の業やカルマによって、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)のいずれかに生まれます。
煩悩は、修行によって断滅することができ、煩悩を断滅できたら輪廻から解脱できます。
修行を積めば、仏の境地を得られるというものです。
チベット仏教5つの宗派
チベット人は仏教について深く学習し、また自ら実践してきました。
その中で、チベット仏教は5つの宗派に分かれていきます。
先に挙げたボン教を始め、ニンマ派、カギュー派、サキャ派、ゲルク派の5つです。
そして、この5つの宗派の頂点に立つのが、ダライ・ラマ法王となります。
ダライ・ラマ法王は、特定の宗派に所属するのではなく、全ての宗派を超えた最高指導者として位置づけられています。
1.ボン教
古代からあるボン教は、日本の神道に近い世界観を持ち、シャーマニズムや輪廻転生の思想を古くから持っていました。
チベット仏教とは兄弟のような関係であると例えられることもありますが、不明な点も多く、他の4つの宗派とは異なる存在として考えられているようです。
2.ニンマ派
チベットに仏教が伝来した当初の古い伝統を忠実に継承している宗派です。
教義は14世紀中ごろに大成され中央チベットに僧院があります。
3.カギュー派
インドへ留学したマルパの教えに従う宗派で、教義は12世紀前半にまとめられています。
カギュー派は、さらに多くの分派に分かれているのが特徴です。
4.サキャ派
密教の氏族集団として発足し、確立された宗派です。
サキャ派からは、多くの学僧が輩出されています。
5.ゲルク派
最も新しく最大勢力の宗派で圧倒的な僧侶の数を誇っています。
仏教のあらゆる教えを再構成し、密教と顕教の両面を矛盾なくまとめあげたツォンカパの教えに従う宗派です。
こうした宗派の確立により、チベット仏教の教えはアジア随一とも称される国際宗教へと発展していきました。
チベットの生活とチベット人
チベット仏教の教えを忠実に体現するチベット人は、どのような民族なのでしょうか?
チベット人は衣食住に執着を持たず、『質素な生活でレベルの高い思想』を持っています。
与えられた暮らしに満足し、精神面の崇高さを重視します。
これはまさに仏教で説かれる出離、菩提心、正見の価値観を体言しているといえるのではないのでしょうか。
現代日本人が抱えるストレスやイライラ、競争心が少なく、心の平穏を常に保っています。
僧侶は一般家庭へ赴いては儀式を行い、お経をあげ、一般家庭は僧侶の生活を支えています。
僧侶の指導によって、人々は輪廻転生や輪廻からの解脱の存在は当たり前のものとして理解しています。
チベットの老人たちは、安らかな臨終を迎えるため、精神レベルを高める努力を常に怠りません。
日本で仏教の世界に触れるのは、葬儀のときくらいでしょう。そのため『葬式仏教』と揶揄されるくらいです。
一方、チベットでは、人生や死はごく身近にあるものとして仏教を通して学ばれています。
チベット仏教の歴史的背景
インドからチベットに仏教が伝来し、国際宗教となったチベット仏教ですが、13世紀中ごろにモンゴルがチベットを襲いました。
軍事的には太刀打ちできなかったチベットですが、サキャ派がモンゴル人を仏教に改宗させたことにより、モンゴル側の教化に成功しました。
これにより、なんとか危機を逃れたのです。
17世紀中ごろには、ダライ・ラマ法王による国家体制が確立され、中央政権が打ち立てられました。
しかし、第2次世界大戦ののち、19世紀になって、隣国の中国で内戦を圧した共産党人民開放軍がチベットへ侵攻してきました。
寺院が焼き払われ、経典は破壊され、多くのチベット人が虐殺されます。
当時のダライ・ラマ法王は平和的解決に尽力しましたが、中国の強攻に亡命を余儀なくされ、チベット仏教を守るためにインドへ逃れました。
かつてブッダの教えを求めてインドに憧れたチベット人は、皮肉にもまた、チベット仏教の教えを守るためにこうしてインドへ戻ったのです。
他方、少し角度の異なる見方として、悲劇的な歴史の裏に宗教が成立するとの考え方もあるようです。
それによれば、残忍な殺戮行為が横行していた時代には、宗教によって善悪を規定せねばならなかったようです。
五戒を守るということは、国を治めるため、平和を築くために必要不可欠であったということかもしれません。
今後のチベット仏教
1959年人民開放軍の侵攻により、ダライ・ラマを筆頭にチベット人85,000人がインドへ亡命しました。
現在も中国の支配下にあるチベット本土では、宗教活動も制約されています。
チベット仏教の教えや文化、言語を守るために、難民キャンプが作られ、将来立て直すためにチベット人は結束しています。
しかし、何百年も異国の地で自国の文化を守り続けることは困難であると、チベット人も考えているようです。
そのため、中国との対話を続け、一刻も早い解決を望んでいます。
当事者だけでなく、外国諸国も国際問題として考える必要があるのかもしれません。
チベット人は現在進行形で、仏教の教えにある地獄のような苦しみの中にいます。
それでも仏教の教えが根付いているチベット人は、苦しみも修行であり、この苦しみが罪を浄化するものであると考えています。
自分に危害を与える者にも慈悲を与えるべきだと考えているのです。
現にチベットから逃げてきた僧侶は、ダライ・ラマにこう言ったそうです。
『中国の牢獄にいたとき、危険なことがありました。それは、中国人に対して、慈悲をなくす危険性がありました。』
それほどに、チベット人は逆境においても慈悲深く、忍耐強く、心穏やかな民族なのです。
精神的強さを持ち合わせているからこそ、亡命先においてもモチベーションを持っていられるのでしょう。
まとめ
仏教の根底にある思想には、たとえ敵であっても慈悲の心を持って接するという考え方があります。
事実、チベット人は自分に苦痛を与える人間でさえ、修行の場を与えてくれているのだと考える人も多いようです。
そして、今地獄のような環境であるのは過去生で人に苦痛を与えたからであり、今の苦しみによってそれは結実されると信じています。
しかしながら、現在の状態ではチベット人に人権があるとはいえません。
宗教の自由や言語の権利もなく、今のままでは、チベット民族や文化が失われてしまう危険性すらあります。
これは、決して遠い遠い昔の物語ではなく、今現実に起こっていることです。