日本人の国民性は”真面目”といわれています。
それは、つまり完璧主義になじみやすい国民(完璧主義者になりやすい国民)とも言えます。
完璧主義は悪かと問われると、そうではありません。しかし、何事にもメリットとデメリットがあります。その両方をじっくり確認することで、よりその利点を生かしていきましょう。
今回は、完璧主義を止めてみることのから見えてくるメリットを紹介していきます。
止めたら、完璧主義者のエンジンに気付いた
完璧主義者のエンジン(行動を突き動かすもの)は、他人の評価や自分の掲げた目標から乖離(かいり)することへの恐怖心です。
予定と完全一致すれば、喜びやモチベーションは得られますが、失敗や不一致・不足感は大きなダメージになりやすいことが多いようです。完璧主義者が、完璧主義を止めると言ってもこの感情に支配されてしまっては止めることもままならなくなってしまいますし、放っておくと強迫観念に支配されてしまうかもしれません。
ですから、このエンジンを深く認識して自分自身の思考・判断ラインを完全・完璧というレベルに設定するのではなく、自分や周りにとって最善というレベルに設定するクセをつけていくように意識してみることが重要になります。
止めたら、いつの間にか行動できなくなっている自分に気がついた
完璧主義者は準備にも完ぺきを求めてしまうため、なかなか行動に移すことができずに身動きが取れなくなる傾向にあります。
周囲は完成度と時間のバランスを考慮しているので、この様な方を見ると”仕事が遅い”という見方をしてしまいがちになります。
また、完璧な準備に信条をおく方は”準備が整わない”ことを理由に仕事を先送りしてしまう傾向も合わせて持っていますので、チームで行う仕事がしづらくなってしまいます。
ある程度の準備ができた段階で試作をつくる(行う)イメージで、行動をはじめてみると良いでしょう。ある程度準備が整った段階では、調整は行動しながらでも十分に行えるものなのです。準備と行動のバランスを考えてみましょう。
止めたら、よく眠れるようになった
完璧主義者も人間です。限界があります。しかし、その限界リミットを超えたところに目標を置いてしまいがちになるので、常に時間がありません。
そして、その時間を確保するために睡眠時間を削ってしまう傾向にあります。
睡眠時間は、一見すると無駄な時間のように感じてしまうかもしれませんが、身体的・精神的なダメージの修復や脳のリフレッシュ・記憶定着など重要な要素が詰め込まれた行為なのです。十分に時間を確保する必要があります。
また、このような生活をおくっている方の中には週末は10時間とか睡眠をとってしまう方がいらっしゃいます。いわゆる”寝だめ”という過眠症状ですが、この様な睡眠スタイルをしていると、睡眠不足症候群につながる可能性が高くなり、日々の生活に支障が生じるケースも少なくないので認識しておきましょう。
止めたら、自分が好きになった
完璧主義者の方は総じて、自分自身が嫌いな方が多いようです。
常に人目を気にして弱点や欠点を悟られまいとして、弱点欠点を隠そう隠そうとしていますから、欠点のある自分がきらいなのです。いわば、自分をうまく受け入れられないのです。
まずは、欠点をリストアップしてみましょう。
次に、そのリストに書き出された断定的なキツイ表現で書かれた欠点を”次のアクションにつながるようなマイルドな表現”にしてみる工夫をしてみましょう。欠点リストの上に赤ペンで”次につながるようなマイルドな表現”に書き直してみるクセをつけていくのも方法の1つです。
例えば、『自分が嫌い』とリストに書いたら、赤ペンで『自分が苦手(よく分からない)』と書き換えてみるのです。では、探求してみようとなります。
『自分には生きる価値がない』とリストに書いたら、『自分は価値をみいだせていない』と書き換えてみましょう。では、価値を探してみよう。となります。
まずは、その様に言い換えてみて次なるアクションと同時に自分を受け入れるような工夫をしてみましょう。断定的な表現の回避は、他人との向き合い方のバリエーションも広げてくれますので積極的に活用してみましょう。
止めたら、役割意識に気が付いた
完璧主義者だった自分を振り返ってみると、『~すべき』『~であるべき』『~しなければならない』という役割意識や責任感に”振り回されていた”自分に気が付くはずです。
役割意識や責任感は非常に重要な要素(役割意識なきところに問題意識なし)ですが、過度に意識しすぎるとよくありません。
現実と理想のギャップを一足飛びで埋める思考とは決別し、プロセスを経てゆっくりでも埋めていけるような道を探す努力をしてみましょう。
まとめ
いかがでしたか?
『完璧という縄で自分自身を縛るのはもうやめよう! 』と意識してみることから止めることは始まるようです。
だだし、ゼロか一かのような極端な思考では単に幼稚化しただけになってしまいます。
完璧というボーダーラインを見つめるのではなく、最善というラインを見つめそれを引き上げていく思考にチェンジすることが重要なのかもしれません。