とても大切な人が悩んでいるのに、気の利いた言葉ひとつも思い浮かばない・・・
こんな時に、相手の気持ちが楽になる一言が言えたらどんなに良いか。
「本当の優しさとは、一体何なのだろう」と考えたことはありませんか?
本当の優しさとはどんな言葉で、どんな行動のことなのでしょうか。
あなたなら「本当の優しさとは?」と聞かれたら、どう答えますか?
わかっているようでわかっていないのが「本当の優しさ」「優しさの定義」なのです。
本当の優しさとはどんなものなのか、優しさの定義を知ることは、あなたとあなたの大切な人を守る大きな力となります。
あなたとあなたの大切な人のために、本当の優しさを身につけましょう。
あなたはどんな人を本当の優しさをもつ人だと思いますか?
本当の優しさとは?
本当の優しさとは、何か困っている人を助けてくれる人? それとも、心配してくれる人?
優しさという言葉を聞くと、きっとあなたもそんなイメージの人を思い浮かべるのではないでしょうか?
しかし、それは本当に優しいと言えるのでしょうか?
あなたとっての優しい人とは、あなたによくしてくれる人になっていませんか?
つまり、あなたにとって「都合のいい人」になっていませんか?
では、本題に入ります。
本当に優しいとは、どういうことなのでしょうか?
優しさの定義
優しさの定義は、人によって違います。
あなたが優しいと感じることでも、他の人はそうでもなかったりします。
あなたが優しさだと思って(勘違いして)おこなった行為も、相手が望んでいなければ、それは「親切の押し売り」でしかありません。
優しさとは、その時々に相手が望んでいることをしてあげること。それが「優しさ」になります。
ただ、表面だけの優しさは、優しいフリをしているだけにすぎません。いわば、偽善です。
人間関係のほとんどが、この優しいフリをしたコミュニケーションの上に成り立っています。
これはこれで、社会性を重んじる人間にとって大切な知恵でもあるので必要なことです。
ただ、あなたにとって大切な人には、うわべだけではない、本当の優しさで接するべきです。心の繋がりを深くしてくれるからです。
本当の優しさを知らないのは、あなたにとっても、あなたの大切な人にとっても、もったいないこと。
ただ、こんなふうに言葉でお伝えしてもわかりにくいと思いますので、今度は、反対側の視点からみていきましょう。
本当の優しさではないもの3つ
本当の優しさを知るためには、優しさではないものを知るのが近道です。
優しさにみえて、実は優しさではないものがあります。
優しさに似ているものをみてきましょう。
親切
親切と優しさはとても似ています。
親切な人=優しい人というイメージがありますよね。
でも、それは本当の優しさからでている親切とは限りません。
人に親切に接することで、その人は自己満足を得ているのであれば、それは優しさではなく自分の心を満たしているに過ぎません。
プレゼントや、物を与える
プレゼントしたり、物を与えることも優しさに見えやすい行為です。
それもほとんどの場合が、本当の優しさからくるものではなく、自分をよくみせるためであったり、自分が好きでしているに過ぎません。
やはり、これも自己満足を得ている行為になります。
「相手の喜ぶ顔が見たいからプレゼントをする。」というと何とも優しいイメージがありますが、相手が喜ぶものだとなぜわかりますか?
もしプレゼントを渡して喜ばなかったら、自分にとっても相手にとっても残念な結果の気持ちを残します。
喜ぶだろうという気持ち自体が、自分が喜ぶ顔を見て嬉しくなりたいから、という心理が眠っているのです。
共感する
あなたが思っていることや感じていることを「わかる。わかる。」と親身になって聞いてくれて、共感してくれる人を優しく感じますが、それも本当の優しさではありません。
その共感によって、「わかってくれた。」、「自分は間違っていない。」と、一瞬は相手の心が和らぎます。しかし、相手はそれ以上考えなくなってしまう可能性があります。
人間関係を円滑にするためには、共感はとても大切な行為ですが、相手を本当に思っているのであれば、時にはマイナスに働いてしまう可能性もあるのです。
相手を思っているのであれば、本当の優しさを使いましょう。
うわべだけの優しさは、その人の可能性をも狭めているかもしれません。
本当の優しさを感じる体験談3つ
本当の優しさを感じさせる心に届いた言葉や本当の優しさを感じた体験をご紹介します。
弟との別れの時に
弟が事故で急死したときのお葬式で、たくさんの方々が弔問にお越しくださいました。
まだ気持ちの整理もつかず、身も心もボロボロだった私に、多くの人が「弟さんどうして亡くなったの? 」と聞いてきました。
その時の私は、まだ弟が亡くなった事実も受けとめられず、無くなった時の場面がフラッシュバックしてしまう状態だったので、聞かれるのがとても辛かったです。
「あなたが心配だから、来たのよ。言えば楽になるからいいなよ。」そんな言葉にどんなに傷ついたことか。
そんな時に、ある人が私の友人に言ってくださった言葉が私を救いました。
「〇〇さんの弟さんは幸せでしたね。あんなに泣いて悲しんでくれるお姉さんがいて。」
一見何気ない言葉なのですが、この人は葬儀にきてくれていましたが、あまりに辛そうな私に声をかけられなかったそうです。
その言葉を聞いたときに
「こんなに愛しいと思える弟と出会えて幸せだった。」
「弟が私を大切にしてくれて、私も弟を大切に思っていたから、こんなに悲しいのだ。」
ということに気がつくことができました。
その人の言葉を私に届けてくれた友人にも感謝です。
いまだに、その温かい優しい言葉が忘れられません。
手放す優しさ
以前、一緒に働いていた人が余命宣告をうけたのを聞いて、お見舞いに行こうと準備をしていました。
準備も整えて、さあ行こうと思ったときに、一本の電話が入りました。
「お見舞いにこようと思っている人に、本人がどうしても伝えて欲しいことがあると連絡があったの。今の姿を見せたくないそうなの。もう自分があとどのくらいの命かもわかっているから、最後のお願いに会いに来ないで欲しいそうよ。元気だった時の私だけを思いうかべてもらえるように。本当はとっても会いたいけれど、亡くなったあとに、今の姿を思いうかべられるのは悲しすぎるって・・・」
悩んだ結果、お見舞いの品だけを入院している病院の職員に託して、会うことはしませんでした。
いまだに会っておいた方が良かったのか、会わなくて良かったのか答えは出ていませんが、これは、その人の優しさからの言葉だったのだと感じています。
お見舞いにきた人が自分の姿を見て、悲しい思いをして欲しくなかったのだろうと思います。
とてもエネルギッシュで、いつも周りへの気遣いを絶やさない人だったから、その人の最期の思いやりだったのだと思います。
最期のときまでも、心遣いをするのが本当の優しさなのだと感じました。
今でも、その人と働いていたときの夢をみます。
その夢の中では、私の知っているエネルギッシュで笑顔の素敵な人のままです。
見守ることの優しさ
いつも活発で行動的だった友人が、突然の病で倒れてしまいました。
何かしてあげることはないのか?
どうしたらいいのだろう?
と困惑している友人が、私に
「相手がなにも言ってこないと言うことは、病気のことを知られたくないだから、知らないふりをしていた方がいい。」
とアドバイスをくれました。
それでも私は
「知っているのに知らないフリはできない。」
と言うと、その友人が
「本人が病気のことを隠しているのだから、知らないフリをするのが優しさだよ。」
と教えてくれました。
本当にそうですよね。
病気になったことを知られたくなくて、誰にも言わずに頑張っているのに、私がそこでその人の気持ちも考えずに連絡を取っていたら、どんなに傷つけてしまったか想像すると、友人にアドバイスを頂いてよかったと思います。
その友人こそが、本当の優しさを持つ人なのだと思いました。
改めて本当の優しさとは
本当の優しさとは、自分の気持ちだけで何かをしてあげることではないのです。
相手がそれを望んでいなければ、ただのおせっかいに過ぎません。
本当の優しさとは、自分の利益には決してならなくても、自分が犠牲になってでも、相手のためになるように考えることではないでしょうか?
例えば、
- 言いにくいことでも、その人のためになることを言う。
- 手を離して自分の力で立ち上がるのを待つ。
- 手をかさずに、そっと見守る。
- 相手が望んでいることを、その人のためになるならしてあげる。
- 自分の状況や立場よりも、相手の状況や立場を尊重する。
のようなことです。なかなかできるものではありません。
ただ、あなたの大切な人だからこそ、嫌われるのを覚悟で言いにくいことを伝えたり、行動することも必要だと思います。
本当の優しさは、自分には厳しい試練だったりするのかもしれません。
まとめ
本当の優しさとは何なのか、あなたとあなたの大切な人を守る優しさの定義とはどんなものなのか、あなたの答えは出たでしょうか?
本当の優しさ、優しさの定義は、人によって違います。
ただ、その人が今、必要としていることをしてあげられるのが優しさだと思います。
相手のためにならないことを、必要だからという理由でしてあげても、それは本当の優しさではありません。
見返りや損得などを考えずに、その人のためになることを考え、行うのが本当の優しさと言えるでしょう。
あなたとあなたの大切な人を守る、本当の優しさを身につけて、本当の幸せを手に入れてください。
こんにちは。
やさしさについて私も学んでいます。
そんなこんなでここに立ち寄りました。
とても分かりやすい内容でまた学べました。